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創業者楠原政之助の歴史
Founder's history
TEL.082-231-5185(本社)
Pioneer of Hiroshima Tsukudani production
広島佃煮製造の先駆け
炊き立てのご飯にのせて食べるもよし、酒のつまみにもなり現在も一般的な食卓で重宝される佃煮。かつて広島県は佃煮の生産において全国有数のシェアを有していました。広島での佃煮は、当社の創業者である楠原政之助が広島市内で製造したのが始まりとされています。
十歳で行商を始めて以降、大阪や長崎で製造技術を習得し、開業して五十余年間働きづくめ生涯を年表としました。
新しいものづくりを通して人々の日々の暮らしに「美味しい」を届けた楠原政之助の業績を通して、当時の日本の食文化を感じていただけましたら幸いです。
創業者楠原政之助
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明治10年
誕生
田中多蔵、ツネの三男として 生まれる。
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明治14年
4歳
母の実家である楠原家の養子となる。
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明治20年
10歳
実家を出て、父方祖父が経営する履物店(広島市南区京橋町)で店員として働く。
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明治21年
11歳
広島市初のマッチ工場で工員として働く。
自立して食料品や雑貨の行商を始める。 -
明治23年
13歳
商売の勉強の為、大阪心斎橋の武田安三郎雑貨店で住込み店員として働く。
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明治29年
19歳
一端広島に戻るが、漬物を習うために再び大阪天満橋の中村漬物店で住込みで働き、漬物の仕込みを研究する。さらに、佃煮の製法や缶詰製造の技術を習得するため難波の缶詰工場へ通う。そして長崎へ行きフランス人から漬物の壜詰め、缶詰めの製造方法を教わる。
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明治30年
20歳
10年ぶりに広島の親の家(中区榎町)に帰る。
佃煮、漬物の壜缶詰製品の製造販売業を創業。 -
明治31年
21歳
熊本で漬物の壜詰製造を習う。親の家で漬物佃煮の壜詰めを製造し、行商。販路は主に九州・中国・四国・呉。(広島における佃煮・漬物の壜缶詰食料品販売の始まりとされる。)
河原町に家を持ち行商の拠点として、「楠原政之助商店」の看板を掲げる。 -
明治33年
23歳
行商主体で相当な利益を得る。河原町で事業所を開設する為広島市役所に営業願いを提出し、納税を始める。
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明治35年
25歳
壜詰工場の第一号工場を広島市内(新市)に建設。
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明治36年
26歳
実家を拡張して第二工場を建設。(榎町)
同敷地内に広島初の漬物店を開店。 -
明治37年
27歳
第三工場を建設。(佃煮の壜詰工場)
日露戦争 勃発。 -
明治39年
29歳
佃煮が軍需品の保存携行食として脚光を浴び、生産を大きく伸ばす。
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明治41年
31歳
日露戦争後の不況に耐え、最高利益を達成。
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明治42年
32歳
長男 森太郎(二代目) 誕生。
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大正4年
38歳
榎町の第二工場を閉鎖。白島町(約1千平方メートル)の土地を購入し、新第二工場を建設。
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大正6年
40歳
漬物製造の主力工場とすべく、現在の広瀬町に土地を購入して大規模な第四工場を建設。
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昭和2年
50歳
蒸気釜装置の特許を取得。
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昭和7年
55歳
「楠原政之助商店」を合名会社として、代表社員に長男森太郎就任。
本社を榎町に置き、四工場、三店舗を設け、漬物・味噌・佃煮壜缶詰の製造販売の新体制を発足。満州、朝鮮、ハワイ、北米など販路拡大。 -
昭和10年
58歳
貴族院多額納税議員選挙の資格獲得。
広島市より実業功労者として表彰され銀杯を授与される。
広島市安佐南区祇園の安神社に大鳥居を寄贈する。 -
昭和15年
63歳
森太郎に長男信作(三代目)誕生。
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昭和18年
66歳
森太郎に次男 敏正(元会長)誕生。
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昭和20年
68歳
8月6日 原子力爆弾の投下により工場、店舗すべて倒壊、焼失する。
広島市の西部の井口に疎開していて一命を取り留める。 -
昭和22年
70歳
西観音町の自宅にて死去。
掲載メディア紹介
広島の佃煮が名を馳せるようになったその原動力について、楠原政之助が当時の様子を書き留めた日記に基づき、2009年 月間経済春秋 8月号・9月号の「広島政財界人物誌」で特集いただきました。この特集を執筆いただきました広島県経営史研究所 田平良平様に感謝申し上げます。
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